時代ごとの日本人の食生活やライフスタイルの変化を見極めながら事業を多角化し、新たな営業手法なども積極的に取り入れるなど、単なる食品の卸売業に留まらない「総合ライフサポート企業」としての成長を遂げてきたユアサ・フナショク。
私たちが目指すのは「人々の健康で豊かな暮らし」を実現すること。お客さまにより安全・安心で、より満足いただけるサービスを提供することを理念に掲げながら、「食」を通じて日本の暮らしを豊かなものにすることを目指しています。
そのために私たちは、食とその周辺分野に長年携わってきた圧倒的な情報力と、社内におけるプロフェッショナル同士の連携力を武器に、単なる総合商社業に留まらない、お客さまが抱える課題を根本から解決するような“真に価値ある提案”を日々、行っています。
ユアサ・フナショクの設立は1937年(昭和12年)。千葉県船橋市にて肥料・米・雑穀をメインに取り扱う株式会社湯浅商店としてその歴史をスタートしました。
ユアサ・フナショクの歴史は「事業の多角化」の歴史でもあります。戦中・戦後間もない時期の経済統制下においては、卸問屋にとっても厳しい時代となりましたが、湯浅商店は小麦粉販売の増強に活路を見出します。
戦後の混乱が収まり始めた頃、湯浅商店は小麦粉や油脂、砂糖、澱粉(でんぷん)といった食品原料の販売を拡充、1963年(昭和38年)には精米工場の稼働もスタートします。高度経済成長期においては日本人の食生活の変化に伴い、インスタント食品をはじめとする加工食品の販売に力を入れるなど、時代の流れの中で総合食品商社としての着実な成長を遂げてきました。
また1960年(昭和35年)には、肉卵乳の消費増を背景に畜産業の直接経営をスタート。1963年(昭和38年)には商品の輸送に用いるトラックの経費削減を目的にガソリンスタンドの運営に着手し、1970年代に入ってからはホテル経営にも乗り出すなど、現在の事業部門の“雛形”が出揃います。
そして、1972年(昭和47年)に湯浅商店は株式会社船橋食品を合併。社名を現在のユアサ・フナショクにあらためました。
ユアサ・フナショクの歴史はまた、本社を置く千葉県の発展と共にありました。1964年(昭和39年)にユアサ・フナショク(当時の湯浅商店)は船橋駅前の土地を取得しましたが、船橋駅の将来の発展を見据えて、うち約3割の土地を無償で市に提供。1966年(昭和41年)には取得した敷地にビルを建設し、そこに百貨店を誘致するなど、まちの発展に尽力してきた歴史もあります。
長年、地域と共に歩んできた企業として私たちが大切にしているのは「地域密着型」のビジネス。千葉県の豊かな食文化や食材の魅力を県外にも広く伝えていくこと、そして各拠点を置くエリアの特性や食文化にも敬意を払うことを大切にしながら、全国区での営業活動を展開しています。
企業としての発展、そして私たちが暮らす街の発展にも貢献する上で、ユアサ・フナショクは当社で働く人がまず、イキイキと働ける環境を実現しなくてはならないと考えています。
そこで私たちが社是として大切にしているのが、初代社長から経営を引き継いだ山野幸之助(1953~1989年社長在任)が1971年(昭和46年)に定めた「やるき・こんき・まけんき」の3本の苗木。社員一人ひとりがこの苗木を自分ならではの大樹に育てることで、大きな生きがいを得ることができる。そんな想いが込められています。1985年(昭和60年)にはここに「げんき」が加わり、現在もユアサ・フナショクに受け継がれる「4本の苗木」として精神的な基盤となっています。
社員一人ひとりが仕事の中で自身の夢ややりがいを感じられることを見つけ、それを実現することが同時に社会貢献にもつながっていく。それが私たちの理想です。そのためにユアサ・フナショクは社員のチャレンジを全力で後押ししながら、ここで働く全員が伸び伸びと働ける環境の実現を目指しています。
私たちはこれからも地域に根ざした企業として、多くの人々から愛される企業を目指していきます。現代は変化のスピードが著しい時代であると同時に、SDGsの達成や社会課題解決など、企業にも持続可能な活動が求められている時代です。
目まぐるしく変わり続ける社会環境に対して、私たちの事業にも常に変化と適応が求められています。しかし、それは私たちの歴史を振り返ると、常に得意としてきたことでもあります。時代ごとの変化を見極めながら成長を遂げてきた歴史を持つライフサポート企業として、ユアサ・フナショクはこれからもさまざまなチャレンジに尽力していきます。